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coguの工房を訪ねて

2. 長い道のりで得たもの


厳しい下積み時代

作業中の中島さん

元々、店舗や展示会、美術館などの什器をつくる「内装家具」の職人だった中島さん。
20年以上に渡り、大手百貨店や一流海外ブランドの
店舗内装などを手がけて、腕を磨いてきました。
一度つくったものは二度つくらない内装家具の仕事。
毎回図面が変わり、難題を突きつけられることも多いので、
臨機応変に対応する力が必要とされます。

つくり手を志したのは20代前半。
それまでは、アパレル業界を転々としていました。
「いつも仕事が嫌になったら辞めて。
逃げてばかりの自分に嫌気がさしていました。
そんな頃、ものづくりに対する関心が芽生え、職人の世界へ飛び込んだんです」。

当時はバブル絶頂期で、建築・木工業界が盛り上がっていた頃。
未経験でも簡単に就職できたと言います。
木の名前すら知らなかった中島さんですが、軽い気持ちで内装家具の仕事を始めました。

最初の会社で2年働いた後、別の内装家具屋に転職。
そこで出会った親方が、中島さんの職人人生を変えます。

アルバイト気分で転職した中島さんに、
初日から「プロになる気がないなら、今すぐ出て行け!」と一喝。
木工職人を名乗るからには、木にまつわるすべてを知り尽くせ。
どんなものでもつくれる「木工のオールラウンダー」なれ。

当然、厳しく指導する親方に、反発を覚えました。
「ある時、親方のやり方に文句をつけたら大喧嘩になって。
それから10年間、仕事以外ではほとんど口をきいてもらえませんでした(笑)」。
けれど中島さんは逃げ出しませんでした。
もう自分に負けたくないという強い意志が芽生えていたから。
ちょうど雅子さんと結婚し、子供も生まれた頃でした。
雅子さんの支えもあり、もがき苦しみながらも前に進み続けたのです。

中島さんの足元

最終的に、その親方の下で18年間働いた中島さん。
親方の教えどおり、木のすべてを知り尽くし、木工のオールラウンダーへと成長しました。
しかし、つくったものや木に対しての想いが増すにつれ、
徐々に内装家具の仕事に対して疑問を抱くようになります。
「どれだけ高級感を出せるか、という見せかけの美しさばかりに気を配り、
一時的な店舗や企画のためにつくっては壊す。
その繰り返しに、嫌気がさしてしまったんです」。
自分がこれから先つくりたいものは何か。
模索した結果、長く使い続けることのできる実用の道具をつくりたい、
そんな想いが生まれるのです。

そして2009年。coguの活動を始めます。
親方のもとを離れ、生活のために内装家具の仕事を転々としながら、二足のわらじを履く日々。
朝8時半から夜10時まで働き、
coguとしての仕事がある日は、11時から夜中の3時頃まで製作に打ち込みました。
中途半端なまま多忙を極める生活に、何もかも上手くいかなかったそう。
これから先、やっていけるだろうか。お金はどうしたらいいか。
職場では木や技術に関するこだわりがあるからこそ、周りと揉めることもありました。
「1年で4回転職するくらい、荒れていました。
会う人みんなに『荒れてるね』と言われるくらい・・・・・・(笑)」。

しかし、そんな中島さんを変えたのが、雅子さんの一言。
「『好きにやれば?』って言われたんです。
それで不思議と不安が吹き飛んで。
仕事がないならつくればいいって、開き直れたんです。
腹をくくって、coguの活動に集中することにしました」。
苦しい下積み時代から中島さんと連れ添い、
孤軍奮闘する姿を見てきた雅子さんだからこそ、中島さんの胸のうちを読み取ったのでしょう。
こうして、coguが本格的に始動します。

気兼ねなく使えるものを

coguとして最初につくったのは、スプーンなどのカトラリー。
作業場に落ちていた端材がもったいないと思い、家族分のカトラリーをつくったのが始まりでした。

coguのカトラリー
coguのinstagram(@___cogu)より
はじめは、木のカトラリーなんてダサいと思っていたそう。
しかし使ってみると、大きく印象が変わったと言います。
「金属のカトラリーが器にあたったときの“カチャカチャ”という音が気になるようになって。
木のカトラリーの優しい使い心地に、自然と惹かれるようになったんです」。
気がついたら、3人のお子さんたちも、金属のカトラリーを手に取らなくなったんだとか。

ふわりと軽く、やわらかな木の道具。
他の素材にはない、自然とどんな暮らしにも馴染む、独特の魅力をもっています。
そんな木を用いて、よそゆきのものではなく、生活で気兼ねなく使えるものをつくりたい。
そう心に決めた中島さんは、今まで培ってきたもののすべてを
暮らしの道具に注ぎ込むのです。

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