桂樹舎の工房を訪ねて | 工房訪問 | cotogoto コトゴト - ページ3
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3.変わらないこと、変わること

土地の歴史をつなげること

鍋敷き

▲八尾町の山間部にあった小学校の分校を譲り受けたという建物。

桂樹舎の工房の隣には、趣のある佇まいの建物が併設されています。
日本や世界の古い紙や紙製品を展示する和紙の博物館「和紙文庫」と
お茶やお菓子でほっと一息つける「喫茶パピルス」。
どちらも桂樹舎が運営しています。

ブックカバー

▲「和紙文庫」の2階。置かれているベンチや壷、照明なども
桂樹舎の創設者・吉田桂介さんが世界各地から集めてきた民藝の品。


名刺入れ

▲「喫茶パピルス」では、和紙や世界の民藝に囲まれながら、お茶やコーヒー、葛きりなどのお菓子をいただくことができます。

和紙文庫の展示物は、桂樹舎の創設者・吉田桂介さんのコレクション。
和紙のことをもっと知ってもらいたいという想いから、昭和60年に設立しました。

かつては町の経済を支えたほどの「八尾和紙」ですが、
意外にも、今では八尾町の人でさえ、その歴史を知らない人も多いのだとか。
紙すきを担当している栃山さんもそんな1人でした。

栃山さんは、八尾生まれの八尾育ち。
ところが、八尾で和紙がつくられていたことは、学校などでもまったく習わなかったのだとか。
紙すきに興味を持ったのは、
なんと映画の影響から。
「映画の中で紙すきのシーンがあって、その動作がきれいだなって印象に残ったんです。
そしたらたまたま近くに桂樹舎があって、募集していたので働くことになりました」。

栃山さん

▲紙すきを担当する栃山さん。

吉田さんは言います。
「今桂樹舎がつくっているのは、
昔からの八尾和紙とまったく同じものかというとそうではないのだけれど、
八尾で和紙をやっていたという歴史をなくしちゃいけないと思うんです。
それは土地に結びついた精神的なことでもあるから」。
同じく八尾町で養蚕が盛んだったことも、
今では知っている人はほとんどいないのだとか。
そして、現在養蚕に携わるところは一軒もありません。
誰かがつないでいかないと、土地の歴史は消えてしまうもの。
桂樹舎が和紙をつくり続けている限り、八尾和紙はなくならないのです。

「和紙っていうのは、全国でもつくり手は300軒くらいしかいないんですよ。
それしかいないってことは、それだけ世の中にとって和紙が必要じゃなくなっているからなんです。
実際に今の暮らしの中で使われている和紙といったら障子紙くらいでしょ。
それもだいたい機械ですいたもの。
昔は、どの家でも家の内と外とを障子が区切っていたから、和紙は絶対的に必要な素材として大切に扱われていたけれど、今じゃなくてもぜんぜん生活できるんですよね。
そんな中でいかにして和紙を使ってもらうかが
一番大事。
まああんまり肩肘はらないで、気軽に使える和紙製品をつくっていきたいですね」。

吉田さん

▲吉田さん。喫茶パピルスにて。

変わらないデザインと、今に合わせた色

自然豊かな八尾町の風景

▲出来上がった型染め和紙。明るい色合いは、ポップな印象を与えます。

桂樹舎の柄は、すべて初代・吉田桂介さんのオリジナルデザイン。
全部で300種類近くあるのだとか。
少しアレンジすることはあっても、基本はそのデザインを守り続けています。
「桂樹舎は、やっぱり民藝。それを変えるつもりはない」ときっぱりと言う吉田さん。
ただ、「デザインは昔のままだけれど、色数は増えました」とも。

桂介さんの頃は、民藝運動のつながりもあり、桂樹舎の製品を扱っていたのは民藝店がほとんど。
客層も固定されていました。
ところが、十数年前に若者向けのセレクトショップが取り上げてくれたことで、若い人の目にも触れるように。客層も変わってきました。
さらに、別の仕事に就いていた吉田さんの娘さん・南子(みなみこ)さんも戻ってきて桂樹舎に加わり、色についても提案。
昔は色数が少なく、ほとんどを赤や紺色で染めていました。 緑や黄色、水色、ピンク色など明るい色を使ってみたところ、若い世代にも広がっていっていると言います。

吉田さん

▲ぱっと目を引く明るい配色。ポップなイメージを与える繭柄は、かつての養蚕の名残のひとつだとか。

和紙を残す、そのためには

吉田さん

▲背負っているものは大きいけれど、「ものごとはあんまり深刻に考えない性格」と笑う吉田さん。

今の桂樹舎をパワフルに、そして明るく引っ張る2代目社長の吉田さん。
昭和53年に大学を卒業後、すぐに芹沢工房で3年型染めの修行をします。
初代の想いを受け継いで、小さい頃から家を継ぐ意思を固めていた……と思えば、
「親父は、八尾和紙をなくしたらいかんちゅう想いが大きかったと思うけど、
私の場合は本当にいい加減だったから、大学では遊び呆けていたし、
就職活動もしないで、家に帰ればどうにかなるだろうって
親の七光りで芹沢工房に入ってね、
芹沢銈介がどんな人かも知らないで入った異端児でした」
と笑いながら語る吉田さん。

ところが、自分で手を動かしているうちに
型染めや和紙の面白さに目覚めていったといいます。
「やっぱり携わってくるとおもしろいんだよね。
ものができていく過程を見たり、いちからものをつくっていくっていうのは、
やっぱり楽しいよね」と目を輝かせます。

▲新しい和紙の使い道を探るプロジェクトで巨大手すき和紙に挑戦。

和紙の文字看板

▲吉田さんの左隣にいるのが、娘さんの南子さん。

現在は、桂樹舎として型染め和紙の和紙製品をつくるだけでなく、
大学と連携したプロジェクトなどにも参加。
試行錯誤を繰り返しながら、新しい和紙の可能性を探っています。
和紙に対する初代の「こんないいものを伝えていかなければいかん」という想いを、
気づけば吉田さんも受け継いで、
さらに新しいかたちでつないで行こうとしているのです。

「紙」は、暮らしの中で身近な素材ではあるものの、
本やノート、紙袋や包装紙も、実はそのほとんどが洋紙です。
和紙、とくに手すきの和紙は、素材の入手や製造に手間がかかります。
その分値も張ってしまうことから、生活の中で使われることは少なくなっています。
けれども、知れば知るほど、しみじみいいなと思わされます。
和紙は、長い繊維が絡み合っているため丈夫で、そのうえ軽く、通気性もある素材。
何より、やさしい手触りや佇まいには、
どこか人をほっと和ませるぬくもりがあるのです。

桂樹舎の和紙小物たちは、その民藝調の柄や楽しげな色合いに目を惹かれ、
思わず手に取ってみたくなります。
そして、名刺入れやブックカバーなど暮らしの中で身近に使えるものだからこそ、
実際に使ってその魅力に気づかされるのです。
桂樹舎の型染め和紙が、
私たちの暮らしと和紙とをつないでくれています。

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