釜定の工房を訪ねて

2018年10月公開

 

江戸初期から400年近い歴史を持つ南部鉄器。
南部鉄器から生まれたという鉄瓶をはじめ、
世界的にも注目を集める、岩手県を代表する伝統工芸品です。
盛岡市紺屋町に工房を構える「釜定(かまさだ)」も、そんな南部鉄器のつくり手の一つ。
研究に裏づけられた品質と、
時代を超える普遍的な意匠にこだわったものづくりを行っています。
「いいものは絶えず新しくて、どこか古いものをきちっと守りながら残っている」
と言うのは、3代目の宮伸穂(みや のぶほ)さん。
モダンで新しい、だから今の暮らしにもすっと馴染む、
釜定の鉄器が生まれる場所を訪れました。



 

1.釜定の鉄器が生まれる場所

暮らしに役立つ、暮らしに馴染む道具

「シャロウパン」

▲「シャロウパン」。浅めの鍋に直線的な持ち手がつき、すっきりモダンな印象です。

鉄は熱伝導、蓄熱性に優れた素材。
食材にじっくり均一に火が入るから、素材の旨味が引き出され、ふっくら仕上がります。
保温性が高く、料理を長くあたたかいまま味わうことができます。
さらに鉄瓶・鉄鍋を使うと、湯や料理に鉄が溶け出し、鉄分補給の一助にも。
そのうえ、一生ものと言われるほど丈夫。
毎日の暮らしの中で使うのに、とても理に適った道具なのです。

釜定のアイテム

▲左上から時計回りに、「鉄瓶 秋の実 肌」、「洋鍋」、「ワンハンドパン」(左)と「シャロウパン」(右)、「鍋敷き」の「六角」(左)と「格子」(右)、「栓抜き」、「組鍋」。

岩手県盛岡市に店舗と工房を構え3代目となる「釜定(かまさだ)」の鉄器は、
鉄という素材の利点に加え、そのデザイン性にも定評があります。
釜定は、鉄瓶からはじまり、その伝統的な技法を
鉄鍋や鍋敷き、灰皿、栓抜きといった日用品からオーナメントにまで継承しながら、
多彩なアイテムを手がける南部鉄器のつくり手です。

ころんとした雫型でかわいらしい佇まいの鉄瓶「秋の実」。
煮る、炊く、焼く、揚げるが一つでできる万能な鉄鍋「洋鍋」。
直線と曲線のバランスがスマートで美しい「ワンハンドパン」や「シャロウパン」。
すき焼き鍋にもフライパンにもなり、サイズ違いが入れ子に収まる「組鍋」。
盛岡の伝統工芸品の一つ・こけしを彷彿とさせるような「栓抜き」。
凛としたかたちの美しさが際立つ「鍋敷き」。
どれも鉄器でありながら、軽やかさも感じさせるシンプルで洗練されたデザインで、
暮らしに寄り添うアイテムばかりです。

130年ものの煤が物語る場所

紺屋町の街並み

▲紺屋町の中心に位置する「紺屋町番屋」。盛岡市の保存建造物にも指定されています。

  • 紺屋町の入り口

    ▲江戸から明治の古風な商家の佇まいを残した商店「茣蓙九(ござきゅう)」の建物。

  • 中津川

    ▲紺屋町に平行して流れる中津川。鮭がのぼってくるほどの清流で知られています。

江戸時代、南部藩の城下町だった岩手県盛岡市は、
戦時中大規模な空襲を免れたことで、古い建物や区画が多く残る街。
釜定が店舗と工房を構える紺屋町は、奥州街道沿い、
レトロな雰囲気のある旧盛岡の中心地です。

釜定店舗外観

▲釜定の店舗正面。瓦屋根に漆喰の壁、窓や壁の格子が城下町・盛岡の風情を感じさせます。

中でも落ち着いた佇まいの建物が、釜定の店舗。
戦時中建物疎開で取り壊された旧店舗を、終戦から9年経た1954年に
昔の図面や同じ材料を集めて再建したのだとか。

中に入ると、一面鉄器が並び、そのしっとりとした美しさに息を飲みました。

釜定店舗内観

▲店内には、畳の小上がりもあり、棚にはずらりと鉄瓶の姿が。

灰皿

▲蓋の柄が一つ一つ異なる灰皿。

フライパン類

▲右3点は、深さのある「ワンハンドパン」、一番左は浅めの「シャロウパン」。

栓抜き

▲釜定の「栓抜き」はこけしのようなかたち、と思っていたら、本当にこけし形の栓抜きもありました。

釜定店舗内観

▲天井には風鈴が吊るされ、ガラスケースの中には、鳥や魚のかたちをしたオーナメントも。店内全体を使って、釜定のさまざまなアイテムが展示されています。

鉄瓶をはじめ、さまざまなデザインの灰皿や鍋敷き、栓抜き。
天井からは風鈴が吊るされ、鳥や魚のかたちをしたオーナメントも。
そして、鍋やフライパンといった調理器具まで、
釜定の多彩なラインナップを一堂に見ることができます。

宮伸穂さん

▲釜定の3代目・宮伸穂さん。

「棚の鉄瓶や小上がりに並んだもの、それからオーナメントなどは1代目と2代目、
鍋類が並ぶこっち側は私の代になってからの商品です」。
出迎えてくれたのは、釜定の3代目・宮伸穂(みや のぶほ)さん。

工房の入り口

▲工房の入り口。瓦の三角屋根や格子窓など、古い民家のような佇まい。

店舗の裏側が工房になっているということで、さっそく見せていただくことに。
鉄器づくりといえば、1000度以上の高温で真っ赤に溶けた鉄を思い浮かべます。
工場のような無機質な場所を想像していたところ、
意外にも工房の外観は、瓦屋根で、まるで民家のような佇まい。

ところが、中に一歩入って唖然。

一番最初につくられた部屋

▲一番古くからある部屋。ここで鉄を溶かす溶解も行っているため、壁から天井まで煤で真っ黒に。床は土間になっています。

鋳型をつくるための実型

▲鋳型をつくるための実型(さねがた)。

鋳型の細かい作業をする机

▲鋳型づくりの細かい作業をするための机。

神棚

▲入口から正面に当たる壁に神棚がありました。毎年交換する注連縄以外は、やっぱり真っ黒。

まるで世界がモノクロになったような不思議な感覚を覚えたのは、
天井から壁にいたるまで何層にも覆う煤(すす)のせい。
「ここで火を焚いて鉄を溶かすんです。
そうすると煤がいっぱい出て、それが黒くしている。
初代の頃からだから、煤の中には120〜130年くらい経ったものも
あるかもしれませんね」と笑う宮さん。
店舗が戦時中取り壊しになったとき、工房は一旦解体して保管し、
終戦後また組み立て直したのだとか。
入り口すぐの大きな部屋では、溶かした鉄を流し込む鋳型づくりから
実際に鉄を溶解して流し込むところまで行っています。
四方に入り口が開けられ、別の部屋へと続いています。

削って整える作業

▲通路の脇の小部屋には鋳型から取り出した状態の「洋鍋」が積まれていました。削って整える、仕上げ作業をする職人さんの姿も。

両壁が棚になった細長い部屋は、図面を立体に起こした「原型」をつくったり、
「木型(きがた)」と呼ばれる、鋳型の成形のための型をつくる場所。
ここで、アイテムをどうやって製作していくか「構想」を練るのです。

モデリングの部屋

▲壁は窓以外全部棚になり、さまざまな工具や素材が並んでいます。

  • 鉄瓶の蓋の取っ手の原型

    ▲鉄瓶の蓋のつまみの原型。

  • 注ぎ口の原型

    ▲注ぎ口の原型。

つまみや注ぎ口の原型、
そして、工作室とも言えそうなくらい、さまざまな工具や、
木、樹脂、シリコン、ワックスなど
一見鉄に関係なさそうな素材もあります。

「鋳物にはものすごくたくさんの技法がありまして、
同じ商品をつくる場合でも、プロセスはさまざま。
その度に原型や木型をつくり変えます。場合によっては道具も。
そのため、鉄以外の金属でも溶かせるものは何でも溶かすし、
構想のためにはプラスチックでもシリコンでも素材を超えて何でも使います」。
鉄瓶だけをつくっているならまだしも、
釜定は鍋からオーナメントまでアイテムの種類もいろいろ。
構想の段階だけでもさまざまな知識とスキルが要求されることに驚いていると、
「うちは分業しないで各アイテムごとに担当に分かれ、
型づくりから仕上げまでの一連を、責任持ってやってもらうやり方をしています」
と聞いて、さらにびっくり。
「職人はできるだけいろんなことができるように。
そうすれば仕事がおもしろくなってくるんですよね」。

元来た方向に戻ると、また別の部屋が。

  • 奥に見える部屋

    ▲奥にもまだ部屋があるのが見えます。時代も国も越えた雰囲気に思わず興味をそそられます。

  • 漆の部屋

    ▲行ってみると、そこは鉄瓶に仕上げの塗装、漆を塗る作業をするところでした。

釜定の原点、南部鉄瓶

ここ紺屋町に店と工房を構えたのは、
宮さんの祖父であり初代の定吉(さだきち)さん。
明治末、鉄瓶屋だった本家から分家して創業。
鉄瓶屋のことを指す「釜屋」の「定吉」ということで、
次第に「釜定」と呼ばれるようになり、
そのまま屋号になりました。
盛岡の南部鉄器の歴史は約400年。
その流れを汲む十何代と続く南部鉄器メーカーに比べると、
130年近く続く釜定でさえ、
新興のつくり手と言えるのです。

そもそも盛岡の南部鉄器の起こりは、江戸初期のこと。
大名の間で茶の湯の素養が必須とされていた時代に、
当時の南部藩主が京都から釜師を呼び寄せ、
茶釜をつくらせたことにはじまります。
砂鉄や耐火性の高い砂、
それらの加工のために必要な火力となる木炭。
その三つの原材料が豊富だったことに加え、
藩が保護育成に努めたことで発展していきます。
江戸時代末には、茶釜を小振りにして
注ぎ口と持ち手の鉉(つる)をつけ、
使いやすく改良した鉄瓶が誕生。
熟練した鋳型づくりによる繊細な鋳肌と、
独自の技法を用いた錆び止めによる確かな品質で、
南部鉄器を代表するアイテムになっていきます。

釜定初代・定吉さん

▲宮さんの祖父で、釜定の初代・定吉さん。

南部鉄器、主に鉄瓶をつくるのに用いられる高度な鋳物技術は、
工程が複雑で習得には長い年月が必要。
そのうえ危険も伴う、過酷な労働環境であることもあり、
世界的に見ても、今残っている産地は南部鉄器だけなのだとか。
「日本で金属の工芸品の最高峰と言ったら、日本刀と茶の湯窯。
切る・沸かすという機能的な部分だけでなく、
美しさにまで高めていったことは、どこの国も真似できないと言われています。
その流れを引いているのが、南部鉄瓶なんです」と宮さん。
釜定では、砂と粘土で鋳型をつくり、焼き上げた鋳型に溶かした鉄を流し込む、
「惣型(そうがた)」と呼ばれる昔ながらの技法を守っています。
そして、鉄瓶で培った技術が、今釜定が手がけるすべてのアイテムの原点なのです。

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