JICONの工房を訪ねて
2016年10月公開
佐賀県有田町は、言わずと知れた「有田焼」の産地。
17世紀初頭、朝鮮より招聘された
陶工・李参平(りさんぺい)氏により、
日本ではじめて磁器の原料となる陶石が発見され、
磁器が焼かれたと言われています。
今年2016年は、有田焼の創業から400年の節目の年。
100年に一度の大イベントを記念した催し物が多数開かれ、
町中が活気を帯びています。
▲日本初の陶石が採掘された、有田の「泉山磁石場」。
そんな有田の地で独自の挑戦を続けるのが、「JICON・磁今(じこん)」。
有田焼と言えば、青白いほど完璧な白い器に、
華やかで繊細な絵付けが施されたものというイメージですが、
JICONではそれを覆す、シンプルであたたかみのある、
現代の暮らしにあわせた器をつくっています。
つくり手自身の気持ちに正直に、理想を追求して生まれた、ありのままの美しさの磁器。
そこに秘められた物語を伺うため、
JICONを手がける「今村製陶」の工房にお邪魔してきました。
1. JICONの魅力
有田駅から少し進むと現れる、由緒ある商家が軒を連ねるメインストリート「皿山通り」。
鮮やかな色彩の有田焼の器がウィンドウに飾られたショップが並ぶなか、
絵付けのない真っ白な器と、洗練されたデザインのロゴが目を引く、
古い町屋づくりの建物が見えてきました。
ここが、JICONを手がける窯元「今村製陶」の直売所「今村製陶 町屋」です。
▲笑顔で出迎えてくれた、今村肇さん。
ガラガラガラ……と引き戸を開けて、お店の中に足を踏み入れると、
あたたかい光が灯された趣のある空間が広がり、器たちが優雅にディスプレイされています。
大通りに面しているので、外では車が忙しなく行き交っていますが、
建物の中はゆっくりとした時間が流れる別世界です。
「ここは元々、母の実家で、
もう築80年以上になるんです」と案内してくれたのは、
JICONのつくり手、今村肇(はじめ)さん。
聞けば、国の重要伝統的建造物に指定されているほど歴史ある建物だそう。
お店は奥さんの麻希さんが運営を担当しています。
店の奥の大きなのれんをくぐると、細長い工房が現れました。
出荷前の器が積み上げられた薄暗い部屋を抜けて、
釉薬の入ったタンクや大きな窯の横を通ると、小さな裏庭が。
右手に今村さん夫妻と2人の息子さんが暮らす一軒家のご自宅と、
左手に最近新たに工房として借りたという建物が並んでいます。
今村さんは毎日、この2か所の工房で作陶に励んでいます。
新しい工房で器の形をつくる「成形」や素焼きの作業を、
その後、お店と同じ建物にある工房に移動して、釉掛けや本焼きの作業を行っています。
本心との葛藤
1974年に生まれ、今年43歳になる今村さんのご実家は、
なんと350年以上、14代目まで続く有田焼の窯元「陶悦窯(とうえつがま)」。
江戸時代には藩の御用窯として藩主への献上品をつくり、高い評価を得てきました。
そんな窯元の次男として生まれた今村さんは、
ゆくゆくは陶悦窯で働くつもりで大学卒業後は陶器のまち、
岐阜県多治見市にある「陶磁器意匠研究所」で2年間勉強。
有田にも窯業について学べる学校はありますが、
多治見の活気に惹かれて進路を選んだそうです。
その後、多治見の食器の問屋で3年間商品開発の仕事に就いていました。
そこで感じたのは、ぼこぼこやざらざらなど
ありのままの土の質感が伝わる「陶器」の魅力。
そして磁器のまち、有田に戻ったとき、
磁器が完璧なまでに真っ白で、
元の陶石や釉薬の素材感が一切感じられないことに
疑問を持ったと言います。
「特に有田焼は、上等の石を使ってつくった、
完璧な白さの磁器を誇りとしています。
今思えば、上絵による表現を引き立てるために
あえて素材の特徴を出さないように
していたことがよく分かるのですが、
焼きものが本来持つ趣まで削がれてしまっている気がして
当時はずっと心の奥にひっかかっていました」。
そんなもやもやを抱えたまま、2004年より今村さんは
お兄さんが14代目を継いだ陶悦窯で、
工場長として働きます。
陶悦窯を含め一般的な窯元では、
問屋と一緒に開発した商品を
問屋を通して全国の小売店に販売することが多くあります。
そこでは「3,000円のギフトセット」など、
金額ありきで売れる商品を
大量につくらなければならないそう。
そんな商品開発のやり方に、
今村さんは次第に疲弊してきます。
たとえ売れることが二の次になっても、
納得いくものだけをつくれるよう、
問屋を通さずに直接販売できる
自分のブランドを立ち上げられたらという
気持ちが徐々に大きくなります。
▲有田町にある陶山神社の燈篭。有田焼でつくられています。真っ白な肌に、繊細で華やかな絵付けが際立っています。
▲今村製陶の庭で見つけた、昔の有田焼の破片。
そして、2010年。
麻希さんが現在の「今村製陶 町屋」の場所で陶悦窯のセレクトショップをオープン。
やりたいことを実現し、前に進む姿を見て、
今村さんも何かやらなければという焦りを感じ始めるのです。
「ちょうど2人目の息子が生まれて、
うじうじ悩むかっこ悪い父親の姿は、これ以上見せたくなかったですね」。
そんな想いで打開策を模索しているときに、
デザイナー・大治将典(おおじまさのり)さんに出会い、転機を迎えるのです。
大治将典さんとの出会い、JICONの誕生
大治さんは、北海道の木工テーブルウェアの
メーカー「高橋工芸」や
富山県の真鍮ブランド「FUTAGAMI」など、
日本各地の産地で様々な
日用品のデザインを行っています。
メーカーや産地の歴史を踏まえ、
時代にあわせたデザインを施し、
メーカーと家族のような関係を築いて、
長きに渡り一緒にブランドを育てる姿勢が特徴的です。
大治さんとの出会いは、
たまたま参加した有田町主催の講演会。
登壇者としてデザイナー数名が招かれており、
そのうちの1人が大治さんだったのです。
それまでもデザイナーが考えた器の発注を受け、
形にしたことがあったという今村さん。
ただ、見た目は斬新でも使いづらいものが多く、
共感できることが少なかったそうです。
でも大治さんは違いました。
「大治さんは自分の作品として、
最初に掃印(そうじるし)の『掛けほうき』を見せたんです。
ただのほうきに傘の柄をつけただけにしか見えない形で、
これがデザインなの……?って、
かなりの衝撃を受けました(笑)。
でも同時に、使い手目線の発想に感動したし、
素直にこの箒を使いたいと思ったんです」。
その後、大治さんはFUTAGAMIのデザイン例も紹介。
普通はぴかぴかに仕上げる真鍮ですが、
FUTAGAMIでは表面処理を施さず、
ざらりとした型の質感を残すことで、
ありのままの真鍮の魅力を引き出しています。
その話を聞いて、大治さんなら磁器が本来持つ
素材感を活かしたデザインを施してくれるのではないか。
今村さんはそんな希望を感じ、
大治さんに声をかけたのです。
「生成りの白」ができるまで
一緒に仕事がしたいと伝えて、
はじめての大治さんとの打ち合わせ。
今村さんは磁器の素材感のことや
問屋との関係性のことなど、
これまで抱えてきた悩みをひたすら話しました。
そして大治さんが言ったのは、
「売れるものなんて考えなくていい」という言葉。
「自分たちが本当に欲しいものをつくりましょうよ。
全員に分かってもらおうと思うことが間違いで、
良いものをつくっていれば、
必ず共感してくれる人がいますから」。
最初こそ驚いたと言う今村さんでしたが、
信じるしかないと言い聞かせ、大治さんに全てを託します。
2人で考えたブランドの名前は「JICON・磁今」。
歴史ある「今村家」がつくる磁器であること、
現代という「今」つくる「磁器」であること、
そして「今を生きる」という意味の
仏教用語「爾今(じこん)」の
3つの言葉が重なって生まれました。
今村家の歴史に敬意を払いながら、
今の時代にあった器をつくることを誓ったのです。
▲商品の試作に取り組む今村さん(右)と大治さん(左)。
JICONのコンセプトを決めるにあたり、
有田焼について見直した大治さん。
華やかな絵付けが施された昔ながらの有田焼は、
蛍光灯に煌々と照らされた
現代の食卓では主張が強すぎる。
もっとマットで柔らかい有田焼が
時代にあっているのではないかという提案をします。
また今村さん側は長年の悩みであった
磁器の素材感を活かす術を模索します。
2人の理想を表現するため、今村さんが辿り着いたのは
従来の有田焼では用いられない焼成方法。
一般的な有田焼は「還元焼成」という方法で焼き、
青白い器をつくり出しますが、
JICONでは「酸化焼成」を採用することに。
この焼き方なら、黄みがかった優しい表情に仕上がります。
しかし、酸化焼成は還元焼成より低い温度で焼くため、
低温でも磁器として焼き上がる土を
独自で開発する必要がありました。
今村さんはお父さんやお兄さんの協力を得ながら、
これまで有田焼では使われなかった石を用いることで、
オリジナルの磁土を生み出したのです。
また釉薬は、あえて磁土や釉薬に含まれる鉄分や
ざらつきを感じる微粒子が器の表面に現れるよう、
ほとんど攪拌を行わない製法を採用します。
▲大治さんと考えた、JICONのための白い釉薬。名付けて「大治白釉」が入ったバケツ。
▲器の表面に現れる鉄分。有田焼では徹底的に排除されるものですが、JICONではあえて残しています。
万人受けするものではないかもしれませんが、人のほくろのように、チャームポイントになったり、愛着が湧くものでもあるはず。
こうした試行錯誤の末に生まれたJICONの器は、絵付けを施さず、自然な白一色に。
漂白されたような青白い完璧な白ではなく、ほんのりとあたたかみのある「生成りの白」です。
コンセプトに掲げたのは、「素材感のある暮らし」。
正直でうそのない暮らしを実感したいという想いが込められています。
そこには、ありのままを隠さずに、自然体の美しさを表現した
JICONの器のような生活への憧れがあるように感じます。
無理せずに、自分の気持ちにまっすぐに。
そんなJICONにおける今村さんの指針とも一致するのです。
“普通”をデザインする大治将典の魅力
JICONの器として、最初に大治さんがつくりたいと図面を持ってきたのは「飯碗」。
「いやー、感動しました。
だって飯碗なんて、みんながつくっていて、ほとんど形が決まりきったもの。
普通はもっとデザイン性を出しやすい、酒器なんかをつくりたがるものですよ」。
大治さんが考えた飯碗は、口縁にかけてのキリリとした反りと
丸みを帯びた優しい胴が絶妙なバランス。
そして「ハカマ型」と呼ばれる、台形のように裾にかけて広がる高台は、
手に取ると吸い付くような指当たりで、持ちやすく、安定して置きやすいのです。
一見、普通の飯碗ですが、端々まで大治さんの計算が隠されています。
「そう、普通なんです。でもそれがすごく良かったんです」と興奮気味に語る今村さん。
大治さんの魅力は、変わったことをしないところと賞賛します。
自然体で、奇を衒わないもの、だけど美しくて使いやすいものをデザインする。
そんな一番難しいことをやってのけるのが、大治さんなのです。
飯碗は完成形が決まるまで、何度も1mm単位の修正が入り苦労したそう。
「大治さんは磁器のつくり方を完璧に知っているわけじゃないから、
つくりやすさとか効率とかを考えずにデザインする。
つくる方は大変ですよ」と話す今村さんですが、なんだか嬉しそう。
「だからこそ、自分だけじゃ思いつかなかったような、面白いものができるんですよ。
つくり手はどうしても、つくりやすさの制限の中で考えちゃうから」。
そういえば高橋工芸のつくり手・高橋さんも
大治さんとの仕事について同じ内容を話していたことを思い出し、
デザイナーの役割の重要性を再認識するのです。(>> 高橋工芸の記事へ)
2012年2月。東京の展示会にて
飯碗を含むJICONの器たちが初お披露目となり、発売がスタートしました。
もちろん問屋は通さずに、直接販売店に卸す形をとっています。
「最初からほぼ全種類取り扱ってくれたのは、cotogotoさんくらいですよ」と笑う今村さんですが、
その後徐々に話題を集め、今では日本だけでなく海外でも知名度を上げています。
そしてJICON立ち上げから2年後の2014年。
今村さんは「今村製陶」として陶悦窯から独立し、JICON一本でやっていく決意をするのです。